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カレンダーの歴史

カレンダー=暦。一年間の行事を日を追って記したもの。

古代バビロニアでは、毎夜僧侶達が、寺院の屋上に登っては、月や星を肉眼で観察していました。
そこで月の満ち欠けが一定の周期で行われることを知った彼らは、太陰暦を作り出しました。
これがローマに受け継がれ、ローマの僧侶達も絶えず月を観測し、新月がはじめて顔を見せた夜には、 笛を鳴らして市民に知らせました。そして、その次の日を「月の最初の日」と定めて、金銭の清算を することになります。それを「カレンダー」と言ったのです。

すなわち、カレンダーは本来「告知する・知らせる」という意味であったのですが、上述のように、 次第に「金銭出納簿」の意味に変化していきます。さらに金銭ばかりではなく、ついでにいろいろな行事を 書き記した帳簿を意味するようになり、やがて今のカレンダーの意味に発展してきたのです。

日本への伝来

日本に暦が伝来した事については、日本書紀に「553年(欽明天皇14年)に百済へ暦博士の来朝を求めた」 とあります。また、602年(推古天皇10年)に、観勒が来朝して暦法を伝え、日本の学生に学習させたと 記録されています。七曜は弘法大使の「宿曜経」によってもたらされたそうです。

現在の太陽暦(グレゴリオ暦)を使用するようになったのは1873年(明治6年)からのことです。当初の 「こよみ」は小冊子の形をとったものが主流で、始めは暦屋の団体である領暦商社、1883年(明治16年) からは伊勢の神宮司庁しか発行を認められていませんでした。明治時代中頃から1枚刷りの引札略暦が 大流行し、そして1903年(明治36年)には日めくりカレンダーが大阪で製造されました。日めくりは 旧暦も併記され、美しい台紙に広告が入ったもので、中小商店や会社、銀行などが大量に作り、多くの 人々に配布されるようになりました。
今日、主流になっているカラー写真の入った月めくりカレンダーが流通するようになったのは、1945年 (昭和20年)以降です。

 

カレンダー年表
1872年(明治5年)

11月9日に太陽暦が採用される。翌年1月より実施。

御伊勢参りに日本全国から多くの人々が参拝に訪れた。その時のお土産で 一番喜ばれたのが伊勢暦(写真)。他所では販売できなかったからである。

1883年(明治16年) 伊勢神宮司庁からコヨミが出される。1枚摺の略歴の発行が自由となり、 広告宣伝用の引礼暦が作られる。  
1887年(明治20年) 活版刷り機械で木版刷りを始める。20年代は木版多色刷りの最盛期となる。

写真は1893年(明治26年)木版 。
1897年(明治30年) 30年代に入ると活版印刷や石版印刷のものが登場。華麗な絵が入った引札が大流行、 今日のカレンダーの先駆けとなる。

写真は1902年(明治35年)石版 。

1900年(明治33年) 横浜で西洋風の日めくり式卓上日記が作られる。  
1902年(明治35年) 神戸の印刷所で初めて日めくりカレンダーが試作される。  
1903年(明治36年)

大阪で初めて日めくりカレンダーが製造された。

写真上:1936年(昭和11年)引札
写真下:1922年(大正11年) 提供:新日本カレンダー

1945年(昭和20年) コヨミの出版が自由となる。  
1949年(昭和24年)

月めくりや写真入り月表が売り出される。

写真上:SPORTS(オリンピック)
      1964年東京オリンピックの年に作成されたカレンダー
写真下: 業界初の出版カレンダー1967年(昭和42年)

 

12月3日は「カレンダーの日」

日本で現在使用している太陽暦が採用されたのは1872年(明治5年)のこと。当時、政府は「来る12月 3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする」と発表しました。それまで太陰太陽暦ですべてが動いて いたのに、わずか23日後から暦が変わることになり、その混乱ぶりは想像以上のものだったようです。

しかし、この改暦は、太陽暦を採用している諸外国と外交上で足並みをそろえるため、そして日本が 文明国家に仲間入りしたことを海外に広くアピールするための施行でもありました。その後の日本が 文明国家として大きく成長したのはいうまでもありません。

ところが、社会は太陽暦にのっとって動いてはいましたが、大正、昭和に入るまで庶民の暮らしは まだまだ旧暦によるところが大きかったのです。たとえば、農村の種まきや祭礼日、親の命日などは 旧暦通りに行われていました。1947年(昭和22年)の調査では「新旧暦を併用して使っている」と答えた 人は、全国で44パーセントにものぼったとか。庶民の暮らしにいかに太陰太陽暦が浸透していたかを 考えると、改暦当時の大混乱ぶりが想像できるでしょう。

ともあれ、日本国民に大きな衝撃を与えた1872年の改暦、この史実に基づき1988年(昭和63年)に 12月3日を「カレンダーの日」と定めました。